禅のお話



最近また少し禅にはまってます。
バイブルに近いです。
左は盤珪禅師の説法集です。かなり年季が入った、昭和初期の本です。
鈴木大拙という、アメリカに広く禅を紹介した、宗教学者が解説してます。
正直古文に近くて読みにくい部分もありますが、持ってるだけで、頭がよくなった気分です。

盤珪さんの生家が、姫路市網干という、実家の近くだということで、親しみを覚えています。
右は色々な禅僧のエピソードがのっています。
博多の仙崖さんで有名な仙崖和尚の”死にともない”という、エピソードが載ってます。
偉いお坊さんでも、死ぬのはいやなんだなーと。
修行して心が強くなればそんなこと無いんじゃないかと思っていました。
人間くさいほうが、逆に親近感が沸きます。
何で最近こんな本を読んでるのか、それは、しなやかな心を作りたいからです。

現実に振り回されて自分を見失って、どんどん小さくなるのがいやで、読んでます。
現実をちゃんと受け止め、それに対して、何があっても腹をくくって生きている姿が
私の理想です。
時代劇なんかに惹かれるのも、昔の人のほうが、日々を精一杯生きて、しなやかに、たくましく生きているからだと思います。
どうやったらそれが可能なんだろう。。。。。。
お坊さんでなくても、日々を立派に生きている人はたくさんいます。
身近な人を拝んで、感謝して、学んでいくことが、今の自分に出来ることかもと思います。



最後に、西山老師の言葉で締めくくりたいです。
「禅の心とは、日常生活そのもの。自然そのもの、あるがままということじゃ。毎朝起きて歯をみがき、顔を洗い、食事をいただくこと。『おはようございます』『こんにちは』などのあいさつや言葉づかい、そうじの仕方など、その時々にそのことを心を整えて行う。何も特別なことをしなくてもよい。毎日の自分の仕事を一生懸命にすることなのじゃ」と言いました。
こんな感じの本に、興味のある方はこちら禅文化研究所
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